福岡県宮若市と久山町の境に、犬鳴峠がある。
山中には、現在使われていない旧犬鳴トンネルが残されている。
そして、その周辺には長いあいだ、一つの奇妙な噂がまとわりついてきた。
「地図に載っていない村がある」
その入口には、
「この先、日本国憲法つうじません」
という趣旨の立て札があり、外部から入った人間は村人に追われる。警察さえ介入できない――。
やがて、その場所は「犬鳴村」と呼ばれるようになりました。
しかし、ここで話は少し複雑になります。
犬鳴という地名そのものは実在します。
犬鳴峠も、旧犬鳴トンネルも、犬鳴ダムも存在する。
さらに歴史資料には、「犬鳴谷村」という地域まで記録されています。
では、都市伝説として語られる「犬鳴村」も、本当に存在したのでしょうか。
玄徴録では、実在する犬鳴と伝説上の犬鳴村を一度切り離し、歴史資料、文化財調査、旧犬鳴トンネル、1988年の事件、1999年に残るネット上の記録、そして後世に増えた設定を順に追います。
- 分類
- 都市伝説
- 舞台
- 福岡県宮若市・久山町周辺
- 実在する主な場所
- 犬鳴峠・旧犬鳴トンネル・犬鳴ダム
- 歴史上の地域
- 犬鳴谷村
- 確認できる最古級のネット記録
- 1999年10月末
- 記録の性質
- 実在する土地・歴史・事件と、後世の噂が結びついて形成された都市伝説
結論|「犬鳴村」には二つの話が重なっている
最初に、今回確認できる範囲を整理します。
犬鳴という土地は実在する。しかし「秘密の村」は確認できない
犬鳴峠、旧犬鳴トンネル、新犬鳴トンネル、犬鳴ダム、歴史上の犬鳴谷村、福岡藩犬鳴御別館など、犬鳴に関係する場所や歴史は複数の公的・歴史資料から確認できます。
一方、「日本国憲法が通じない」「地図にない」「外部の人間を襲う住民がいる」とされる都市伝説上の犬鳴村が実在したことを示す資料は、今回確認できませんでした。
| 内容 | 確認状況 |
|---|---|
| 犬鳴峠 | 実在する |
| 旧犬鳴トンネル | 実在する |
| 新犬鳴トンネル | 実在する |
| 犬鳴ダム | 実在する |
| 犬鳴谷村 | 歴史資料で確認できる |
| 福岡藩犬鳴御別館 | 遺構が現存する |
| 「日本国憲法が通じない」という立て札 | 実在を裏付ける公的資料は今回確認できず |
| 現在も秘密の犬鳴村が存在する | 裏付けを確認できず |
| 警察や行政が入れない地域である | 裏付けなし。実際には行政・警察による立入対策が行われている |
つまり犬鳴村伝説には、実在する土地の記録と、後から形成された都市伝説が重なっていると考える必要があります。
※公開資料をもとに玄徴録が作成した図解です。
まず「犬鳴」という場所は本当に存在する
犬鳴峠は、福岡県宮若市と糟屋郡久山町の境に位置します。
現在の主要道路は福岡県道21号福岡直方線で、山中を新犬鳴トンネルが貫いています。
国土交通省九州地方整備局のトンネル点検資料では、新犬鳴トンネルは1975年完成、延長1,385メートルと記録されています。
その新道が整備される以前に使われていた旧道側に残るのが、いわゆる旧犬鳴トンネル(犬鳴隧道)です。
ただし、現在は自由に立ち入れる場所ではありません。
旧犬鳴トンネルへ向かう旧道は立入禁止
宮若市は、旧犬鳴トンネルへ向かう旧道について立入禁止であることを明示しています。
道路の陥没や落石などの危険があり、警察からの要請も受けてバリケードや侵入防止柵が強化されています。
つまり、「警察すら入れない土地」という噂とは逆に、現実には行政と警察によって立入対策が行われています。
歴史上には「犬鳴谷村」が存在した
ここから時間をさらに遡ります。
都市伝説とは別に、歴史資料には犬鳴谷村(いぬなきだにむら)という地名が残されています。
平凡社『日本歴史地名大系』では、犬鳴谷村は犬鳴川最上流域の山間部にあり、四方を山に囲まれた地域だったとされています。
古くは一帯を「火の平」と呼んだとも伝えられています。
犬鳴谷では、山林資源を利用した木炭、薪、紙などの生産も行われていました。
さらに福岡県教育委員会による文化財調査では、犬鳴焼の窯跡、鉄山、木炭窯なども調査されています。
「記録から消された村」ではなかった
歴史上の犬鳴地域では人々が生活し、生産活動が行われ、その遺構は文化財調査の対象にもなっています。
したがって、犬鳴谷村を「行政の記録から抹消された謎の集落」と見ることは、確認できる資料とは合いません。
犬鳴の山中には、本当に「逃げ城」が造られていた
犬鳴の歴史でも特に印象的なのが、福岡藩犬鳴御別館です。
宮若市によれば、犬鳴御別館は幕末、有事の際に福岡藩主をかくまうための施設として築かれました。
険しい犬鳴谷が天然の要害になるとして、加藤司書の推挙によって選ばれたとされています。
現在も大手門・搦手門跡、高石垣、庭園の池跡などが残り、宮若市指定史跡になっています。
これは犬鳴村伝説を直接証明する資料ではありません。
しかし、犬鳴には実際に、
- 山に囲まれた地形
- 外から入りにくい土地
- 有事に人をかくまう施設
という歴史が存在します。
後世に「山の奥には普通ではない場所がある」という怪談が根を張る材料は、現実の側にも存在していたわけです。
※玄徴録による再現イメージです。実際の史跡写真・証拠資料ではありません。
では「日本国憲法が通じない村」はいつ現れたのか
ここからが、歴史上の犬鳴ではなく、都市伝説としての「犬鳴村」です。
今回確認できた最古級のネット上の記録は、1999年10月末まで遡ります。
実在する場所を舞台にしながら、インターネット上の語りによって別の「異界」が形成されていった例として、 きさらぎ駅の記録 も比較できます。 こちらは一連の掲示板投稿を起点に、存在しない駅のイメージが都市伝説として定着していった記録です。
保存記録によれば、1999年10月30日に2ちゃんねるのオカルト板へ立てられた「犬鳴峠」というスレッドには、その前日にテレビ関連板へ投稿された内容が転載されていました。
そこで紹介されていたのが、日本テレビ系番組『特命リサーチ200X』のWebサイトに存在したとされる調査依頼です。
依頼タイトルは、
「日本に在って日本でない村」
とされていました。
1999年には現在の犬鳴村伝説の骨格がほぼ揃っている
保存された転載記録には、犬鳴峠から細い道を入った先の村、地図に載っていないこと、日本国憲法が通じない旨の立て札、外部の人間を追う住民、携帯電話の圏外、警察や国家権力が介入できないといった要素が記されています。
したがって、現在知られる犬鳴村伝説の主要な構造は、遅くとも1999年10月にはネット上で語られていたことになります。
- 犬鳴峠から細い道を入った先に村がある
- 地図に載っていない
- 「この先、日本国憲法つうじません」という趣旨の立て札がある
- 外から来た人間を村人が追う
- 携帯電話が圏外になる
- 警察・国家権力が介入できないとされる
1999年が「誕生年」とは限らない
ここは重要です。
1999年の記録は、その時点ですでに犬鳴村の噂が存在していた証拠にはなります。
しかし、その日に初めて噂が作られた証拠ではありません。
転載された文章そのものに「知り合いから聞いた」といった伝聞が含まれています。
つまり、ネット上へ現れる以前から、ローカルな噂として存在していた可能性があります。
※公開資料をもとに玄徴録が作成した図解です。
「日本国憲法が通じない」という看板は実在したのか
犬鳴村を象徴する存在が、例の立て札です。
しかし今回確認した宮若市の資料、文化財資料、道路関係資料、研究論文などでは、この立て札が実在したことを裏付ける確実な記録は確認できませんでした。
最古級のネット記録ですでに「伝聞」だった
1999年の保存転載では、立て札について確定した事実として書かれているのではなく、「そのような旨の立て札もあるそうです」という形で語られています。
現在では犬鳴村を象徴する決まり文句になっていますが、最古級の記録まで遡った段階ですでに「誰かから聞いた話」だったことになります。
これは犬鳴村という都市伝説を考えるうえで重要です。
有名だから古い。
何度も語られているから実在する。
そうとは限りません。
1988年|旧犬鳴トンネル付近で実際に起きた事件
犬鳴峠の不穏なイメージを考えるうえで、避けて通れない現実の記録があります。
1988年、旧犬鳴隧道付近で重大な殺人事件が発生しました。
研究資料では当時の『朝日新聞』を出典として、1988年12月7日に20歳の男性が少年グループによって監禁・暴行を受けた末、旧犬鳴隧道付近で殺害された事件が記録されています。
被害者の尊厳を考慮し、玄徴録では犯行の詳細な描写は行いません。
事件そのものは都市伝説ではない
旧犬鳴隧道付近で重大事件が発生したことは、当時の新聞資料を参照した研究から確認できます。
ただし、この事件と「犬鳴村の住民」「呪い」「幽霊」などを結びつける資料は確認できません。
したがって、
- 事件が起きたから霊が出る
- 犯人と犬鳴村の住人に関係がある
- 犬鳴村の呪いで事件が起きた
といった説明は、確認された事件とは分ける必要があります。
一方で、すでに使われなくなった山中の旧道とトンネルで重大事件が起きた事実が、その後の犬鳴峠のイメージをさらに暗いものにした可能性は考えられます。
なぜ犬鳴村の噂はここまで強くなったのか
資料を並べると、犬鳴村には「これ一つが元ネタだった」と言える単純な起源は見えてきません。
むしろ、複数の現実が噂の中で重なっていったように見えます。
| 現実に存在する要素 | 都市伝説で変化した形 |
|---|---|
| 険しい犬鳴峠 | 外界から隔絶された土地 |
| 使われなくなった旧道・旧トンネル | 禁断の村へ向かう入口 |
| 歴史上の犬鳴谷村 | 現在も秘密裏に存在する犬鳴村 |
| 犬鳴御別館 | 外部から切り離された秘密の場所という印象 |
| 犬鳴ダムと地域の変化 | 地図から消された村 |
| 1988年の事件 | 犬鳴一帯そのものが危険というイメージ |
| 山間部で通信しにくい場所 | 村へ近づくと通信が完全に遮断される |
現実の断片が、都市伝説の中で別の意味を持った可能性
これらの現実の要素が、それぞれ直接的に犬鳴村伝説を作ったと証明されているわけではありません。
しかし、山深い地形、廃道、歴史上の集落、ダムによる地域の変化、重大事件という現実の断片が、一つの場所に集中していることは確認できます。
それらが噂の中で結びつき、「地図に存在しない村」という物語へ変化していった可能性はあります。
研究では「村の実在」より、なぜ犬鳴が異界になったかを見ている
犬鳴村は、都市伝説研究の対象にもなっています。
鳥飼かおる氏は2014年、「犬鳴村のうわさ――『異界としての犬鳴』にまつわる一考察――」を発表しています。
さらに2018年には、「『筑豊』という『場所』から考える、都市伝説『犬鳴村』のイメージ生成について」を発表しています。
重要なのは、こうした研究が「秘密の村が本当にあった」と証明することを目的としているわけではない点です。
むしろ、
なぜ犬鳴という場所が「異界」として想像されるようになったのか。
土地の歴史や地域イメージが、どのように噂へ結びついたのか。
そこが研究されています。
犬鳴ダムに沈んだ集落=都市伝説の犬鳴村なのか
ここも混同されやすい部分です。
福岡県によれば、犬鳴ダムは犬鳴川上流にある多目的ダムで、1995年4月に管理を開始しました。
ダム建設に伴い、福岡県教育委員会は犬鳴地域の文化財・遺跡調査も行っています。
つまり、ダム以前の犬鳴地域に人々の生活や産業の痕跡が存在したこと自体は確認できます。
しかし、
「ダム建設によって姿を変えた歴史上の犬鳴地域」=「日本国憲法が通じない秘密の犬鳴村」
とする根拠はありません。
映画『犬鳴村』は実話なのか
2020年2月7日、清水崇監督による映画『犬鳴村』が公開されました。
しかし、映画を犬鳴村の実在証拠として扱うことはできません。
宮若市は映画について「事実に基づいたものではない」と説明
宮若市は映画『犬鳴村』について、事実に基づいたものではないと説明しています。
犬鳴ダム建設や住民の移転、新道建設による旧道廃止などについても、映画上の描写とは事実関係が異なるとしています。
むしろ映画公開後には旧犬鳴トンネル周辺への侵入が問題となり、宮若市が改めて立入禁止を呼びかけています。
※玄徴録による再現イメージです。実際の写真・証拠資料ではありません。
旧犬鳴トンネルへ「確かめに行く」のはやめた方がいい
犬鳴村について調べていると、「実際に現地へ行けば分かる」と考える人もいるかもしれません。
しかし、これは推奨できません。
立入禁止の理由は、怪異ではありません。
- 市有地への不法侵入
- 道路の陥没
- 落石
- 作業車両への支障
といった、現実的な危険があります。
資料だけでも、犬鳴村の噂がどのように形成されたのかは十分に追うことができます。
玄徴録の考察|犬鳴村の正体は「実在する断片の集合」なのか
存在しない村を追うと、実在した土地が残る
現在確認できる資料から、都市伝説そのままの「犬鳴村」が実在したと考える積極的な根拠は見つかりません。
しかし不思議なのは、犬鳴村を構成している材料の多くが現実に存在することです。
犬鳴という地名がある。
山深い峠がある。
使われなくなった旧トンネルがある。
歴史上の犬鳴谷村がある。
幕末には藩主を避難させるための御別館が造られている。
ダム建設によって土地の姿も大きく変わった。
そして旧犬鳴隧道付近では、1988年に実際の重大事件まで起きています。
これだけの断片が一つの場所へ集まれば、「この山の奥には何か普通ではないものがある」という話が生まれる土壌としては十分だったのかもしれません。
そこへネット以前から存在した可能性のあるローカルな噂が重なり、1990年代末のインターネットがそれを地域の外へ運ぶ。
そして「日本国憲法が通じない」という強烈な一文が、複雑な土地の歴史を一瞬で説明する記号として残った。
現時点で最も記録と整合するのは、犬鳴村は一つの秘密集落をそのまま描いた物語ではなく、犬鳴という場所に存在した複数の現実と噂が結びついて形成された都市伝説だという見方です。
ただし、空白は残っています。
1999年以前に、現在の犬鳴村伝説の骨格がいつ、どこで、誰によって語られ始めたのかは確認できていません。
「犬鳴村は存在したのか」。
現在の資料から答えるなら、こうなります。
都市伝説そのままの村は確認できない。
しかし、その噂を生み出す材料になり得る土地、歴史、事件、そして消えていった風景は確かに存在した。
存在しない村の記録を追っていたはずが、最後に残るのは実在した場所の記録です。
不可解には、徴が残る。
よくある質問
犬鳴村は本当に存在しますか?
「日本国憲法が通じない」「外界から隔絶された住民が暮らしている」という都市伝説上の犬鳴村の実在を裏付ける資料は確認できません。一方、歴史上には犬鳴谷村という地域・集落が存在していました。
「この先、日本国憲法つうじません」という看板は本物ですか?
今回確認した公的資料や歴史資料では、その立て札の実在を裏付ける資料は確認できませんでした。1999年の最古級のネット記録でも、立て札については伝聞形式で語られています。
旧犬鳴トンネルでは本当に事件が起きたのですか?
はい。1988年12月、旧犬鳴隧道付近で20歳の男性が殺害された事件について、当時の新聞を参照した研究資料で確認できます。ただし、この事件と超常現象や犬鳴村伝説を直接結びつける根拠は確認できません。
犬鳴ダムに沈んだ村が犬鳴村なのですか?
ダム建設以前に犬鳴地域で人々が生活していたことは文化財調査などから確認できます。しかし、その歴史上の地域と「日本国憲法が通じない秘密の犬鳴村」を同一視できる根拠はありません。
旧犬鳴トンネルへ行くことはできますか?
旧犬鳴トンネルへ向かう旧道は現在立入禁止です。宮若市も柵を越えて侵入しないよう明確に呼びかけています。
参考・出典
-
【公的資料】宮若市「旧犬鳴トンネルについて(映画『犬鳴村』)」
旧犬鳴トンネル・旧道の立入禁止、警察との不法侵入対策、映画が事実に基づくものではないことを確認。
宮若市公式サイトで確認する -
【公的資料】宮若市「福岡藩犬鳴別館『宮若市指定文化財(史跡)』」
犬鳴御別館の目的、加藤司書との関係、現在残る遺構を確認。
宮若市公式サイトで確認する -
【公的資料】福岡県「犬鳴ダムを紹介します」
犬鳴ダムの所在地・目的・管理開始時期などを確認。
福岡県公式サイトで確認する -
【公的資料】国土交通省九州地方整備局「福岡県 トンネル点検結果」
新犬鳴トンネルの完成年1975年、延長1,385メートルなどを確認。
資料を確認する -
【文化財調査】福岡県教育委員会『犬鳴―福岡県鞍手郡若宮町犬鳴区の調査』
犬鳴地域の文化財調査、鉄山、窯跡、木炭窯などの遺構を確認。
全国遺跡報告総覧で確認する -
【歴史資料】平凡社『日本歴史地名大系』「犬鳴谷村」
犬鳴谷村の位置、1776年の高分け、地域の山林利用などを確認。
資料情報を確認する -
【研究論文】鳥飼かおる「犬鳴村のうわさ――『異界としての犬鳴』にまつわる一考察――」
犬鳴村の噂、犬鳴が異界として語られる背景、1988年事件に関する当時の新聞資料参照などを確認。
研究論文を確認する -
【研究論文】鳥飼かおる「『筑豊』という『場所』から考える、都市伝説『犬鳴村』のイメージ生成について」
犬鳴村という都市伝説が形成される地域的・社会的背景を考察した研究。
九州大学の資料を確認する -
【保存転載・二次資料】Theつぶろ「犬鳴村・真相を考察」
1999年10月のネット上の記録と、日本テレビの調査依頼ページに掲載されていたとされる文章の保存転載を確認するため使用。元ページを現在直接確認できないため、公的資料や現存一次資料とは区別しています。
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