大きなマスクで口元を隠した女が、道端でこちらを呼び止める。
「私、きれい?」
答えると、女はマスクを外す。
その口は、耳元まで裂けている――。
「口裂け女」は、日本で最も広く知られた都市伝説のひとつです。
とりわけ1979年には、小中学生を中心に噂が急速に広まり、新聞や週刊誌まで相次いで取り上げる社会現象になりました。
しかし、その発祥を調べ始めると、話はそれほど単純ではありません。
一般には「1978年末の岐阜で生まれた」と説明されることが多い一方、1979年1月26日の『岐阜日日新聞』より早い報道を示す調査があります。
さらに半年ほど遡った1978年7月の埼玉では、「口が耳まで裂けた女性」を扱った、非常によく似た怪談まで確認されています。
では、私たちが知っている「口裂け女」は、本当はどこから現れたのでしょうか。
玄徴録では、1978年から1979年の新聞・雑誌をめぐる図書館調査、研究資料、口承文芸研究者による分析を辿りながら、確認できる記録・当時の噂・後から広まった設定を分けて、その発祥と変化を追います。
- 分類
- 都市伝説
- 全国流行
- 1979年
- 有力な流行起点
- 1978年末ごろの岐阜県
- 確認できる初期報道
- 1979年1月の地方紙など
- 先行類似記録
- 1978年7月・埼玉県の地方紙記事
- 記録の性質
- 口コミと報道を通じ、地域ごとに設定を変えながら全国へ広がった都市伝説
- 結論|口裂け女について現在確認できること
- 現在知られる口裂け女は、最初から完成していたのか
- 1978年末|全国流行の起点として有力な「岐阜」
- 1979年1月26日|『岐阜日日新聞』の記事は確認されている
- 「1月26日=メディア初出」とも断定できない
- さらに半年遡る|1978年7月、埼玉の「口が耳まで裂けた美女」
- 時系列で追う|1978年から1979年の口裂け女
- 口裂け女は、伝わるたびに「強く」なった
- SNSのない1979年、なぜ全国へ広がれたのか
- 新聞や週刊誌が口裂け女を作ったのか
- 大人の対応が、子どもには「証拠」に見える
- 1979年6月|岐阜では「下火」、全国ではまだ恐怖が拡大
- なぜ夏になると、口裂け女は消えていったのか
- 発祥をめぐる3つの説を比較する
- 「整形手術に失敗した女性」は実在したのか
- 「江戸時代から口裂け女がいた」は本当か
- 口裂け女は本当に実在したのか
- 玄徴録の考察|「最初の一人」は存在しなかったのかもしれない
- 結論|口裂け女の「発祥」はどこまで分かっているのか
- よくある質問
- 参考・出典
結論|口裂け女について現在確認できること
最初に、今回の調査で追える範囲を整理します。
確実に確認できるのは「口裂け女の噂が社会現象になった」ということ
1978年末から1979年にかけて、岐阜県を含む各地で「口の裂けた女」に関する噂が流れ、新聞や週刊誌が実際に取り上げています。
1979年1月26日の『岐阜日日新聞』朝刊に口裂け女を扱った記述が存在することは、国立国会図書館による所蔵資料調査でも確認されています。
一方、全国各地を移動しながら人を襲った一人の「口裂け女」が実在したことを裏付ける資料は確認されていません。
| 項目 | 現在確認できること |
|---|---|
| 1978年末の岐阜 | 岐阜県図書館は、1978年暮れごろから岐阜市内で噂が話題になったと整理している |
| 1979年1月26日 | 『岐阜日日新聞』朝刊1面「編集余記」への掲載を国立国会図書館が確認 |
| それ以前の報道 | 1979年1月22日の『名古屋タイムズ』や、1978年7月の埼玉県『文化新聞』を先行例として示す資料調査がある |
| 全国流行 | 1979年春以降、『週刊朝日』『週刊新潮』など全国規模の雑誌でも記事化 |
| 主な拡散経路 | 学校や学習塾など、子ども同士の口コミネットワークが重要だったと研究者が指摘 |
| 実在 | 全国を移動して人を襲った一人の女性を特定する記録は確認されていない |
ここで重要なのは、「1979年に口裂け女が全国流行した」ことと、「1979年に初めて口の裂けた女という怪談が生まれた」ことは同じではないという点です。
この二つを混同すると、「最初の口裂け女」を探す作業そのものが歪んでしまいます。
現在知られる口裂け女は、最初から完成していたのか
現在の口裂け女には、よく知られた設定があります。
- 大きなマスクをしている
- 「私、きれい?」と尋ねる
- マスクの下の口が耳元まで裂けている
- 刃物を持って追いかける
- 人間離れした速度で走る
- 「ポマード」という言葉を嫌う
- べっこう飴を渡すと逃げられる
しかし、これらすべてを備えた「最初の口裂け女」が記録されているわけではありません。
1979年初頭の記録と、その後全国へ広がった口裂け女を比べると、設定が増えていることが分かります。
ポマード・べっこう飴・異常な走力は、流行の中で広がった
口承文芸研究では、口裂け女が子どもたちの間で語り直される中で、赤いコート、武器、人間離れした走力、ポマード、べっこう飴など、地域ごとにさまざまな要素が加わったと整理されています。
現在知られる「口裂け女」は、一人の作者が最初から完成させた設定というより、噂が移動する過程で編集され続けた存在として見ることができます。
※玄徴録による再現イメージです。実際の写真・証拠資料ではありません。
1978年末|全国流行の起点として有力な「岐阜」
口裂け女の発祥地として最も頻繁に挙げられるのが、岐阜県です。
岐阜県図書館のレファレンス記録では、口裂け女の噂は1978年暮れごろから1979年にかけて岐阜市内で話題になり、その後全国へ広まったと整理されています。
ただし、発信地は一つに定まっていません。
同じ岐阜県内でも、八百津町、美濃加茂市、岐阜市など、複数の場所が候補として語られてきました。
そのため、1979年の全国流行へ直接つながる地域として岐阜が有力であることと、岐阜県内の特定地点を「口裂け女誕生の場所」と断定することは別です。
「農家の女性が見た、口の裂けた女」という初期型
初期の口裂け女として繰り返し紹介される話があります。
夜、農家の女性が母屋から離れた場所へ出たところ、物陰に人影が立っていた。
近づいてみると、その女の口が耳元まで裂けていた――という型です。
川根慶子「うわさ―社会的思考の表明―」では、先行文献をもとに、1978年12月初めに岐阜県加茂郡八百津町で流れた噂としてこの型が紹介されています。
八百津町説は「有力な記録の一つ」であって、確定した発祥地ではない
研究資料では八百津町の噂が紹介されています。
一方、岐阜県図書館の調査では発信地について複数説が記録されているため、「八百津町で最初の口裂け女が生まれた」とまで断定することはできません。
1979年1月26日|『岐阜日日新聞』の記事は確認されている
口裂け女の初出を調べると、必ずと言っていいほど現れる日付があります。
1979年1月26日。
この日、『岐阜日日新聞』に口裂け女を扱う文章が掲載されました。
1979年1月26日『岐阜日日新聞』
国立国会図書館は、所蔵する『岐阜日日新聞』のマイクロフィルムを調査し、1979年1月26日朝刊1面「編集余記」に該当する記述が存在することを確認しています。
したがって、この日付の新聞に口裂け女が登場していたこと自体は、確認できる記録です。
ただし、これは「1979年1月26日に口裂け女が誕生した」という意味ではありません。
新聞記事になる時点で、噂はすでに地域で知られていました。
新聞がゼロから怪異を作ったというより、すでに存在していた噂を紙面へ記録したと考えるほうが自然です。
「1月26日=メディア初出」とも断定できない
さらに、長く語られてきた「岐阜日日新聞が最初」という説明にも注意が必要です。
怪談・都市伝説の資料調査を行う吉田悠軌氏は、1979年1月22日付の『名古屋タイムズ』に、口裂け女を扱った記事が掲載されている紙面を紹介しています。
日付は『岐阜日日新聞』より4日前です。
さらに、その『名古屋タイムズ』の記事では、それ以前に地元のタウン誌が噂を扱っていたことにも触れているとされています。
ただし、そのタウン誌の現物については玄徴録では直接確認できていません。
| 情報 | 玄徴録での扱い |
|---|---|
| 1979年1月26日『岐阜日日新聞』 | 国立国会図書館による所蔵紙面調査で確認 |
| 1979年1月22日『名古屋タイムズ』 | 資料調査者が紙面画像を提示する先行報道 |
| それ以前の地元タウン誌 | 存在への言及はあるが、現物を直接確認できていない |
※玄徴録による調査イメージです。実際の新聞紙面を再現したものではありません。
さらに半年遡る|1978年7月、埼玉の「口が耳まで裂けた美女」
口裂け女の初出問題をさらに複雑にする記録があります。
吉田悠軌氏による資料調査では、1979年の岐阜・愛知での報道より半年ほど前、埼玉県飯能・日高地域の地方紙『文化新聞』に、口裂け女と非常によく似た怪談が掲載されていたことが紹介されています。
最初の記事は1978年7月6日付。
宮沢湖周辺で語られていた怪談として、若い男性たちが車に乗せた女性の口が耳元まで裂ける、という内容だったとされています。
さらに7月11日、7月27日にも続報が掲載され、噂の場所に人が集まったことや、「幽霊の正体は人間だった」「逮捕された」といった別の噂まで流れていたとされています。
その「正体」を説明する噂の中には、美容整形に失敗した女性という型まで登場します。
これは、後に口裂け女の有名な由来となる「整形手術の失敗」と強く似ています。
重要な先行類似記録。ただし、岐阜への伝播は確認できない
1978年7月の埼玉の怪談には、「口が耳まで裂けた女性」や「美容整形の失敗」という、1979年の口裂け女とよく似た要素があります。
しかし、この噂が埼玉から岐阜へ伝わり、1979年の全国流行へ直接つながったことを示す伝播記録は、今回確認できていません。
そのため玄徴録では、この1978年の記録を「口裂け女の発祥」と断定せず、全国流行以前に存在した重要な先行類似記録として扱います。
時系列で追う|1978年から1979年の口裂け女
ここまでの記録を並べると、口裂け女がある日突然、完成した姿で現れたわけではないことが分かります。
| 時期 | 記録・動き | 情報の性質 |
|---|---|---|
| 1978年7月6日 | 埼玉県『文化新聞』に「口が耳まで裂けた美女」を含む怪談が掲載されたとする資料調査 | 先行類似記録 |
| 7月11日・27日 | 同紙が続報を掲載。整形失敗など別の噂も現れたとされる | 先行類似記録 |
| 1978年暮れ | 岐阜県周辺で口の裂けた女性の噂が話題になる | 図書館・研究資料による流行記録 |
| 1979年1月22日 | 『名古屋タイムズ』が口裂け女を報道したとする紙面調査 | 初期報道 |
| 1月26日 | 『岐阜日日新聞』朝刊1面「編集余記」に掲載 | 国立国会図書館が確認 |
| 3月23日 | 『週刊朝日』が京都へ広がった口裂け女伝説を記事化 | 全国誌報道 |
| 4月5日 | 『週刊新潮』が各地へ広がる噂を記事化 | 全国誌報道 |
| 6月15日 | 『岐阜日日新聞』夕刊が「岐阜で生まれた口裂け女 騒ぎやっと下火へ」と報道 | 岐阜県図書館が紙面確認 |
| 6月29日 | 『週刊朝日』が全国の小中学生を恐れさせる風説として報道 | 全国誌報道 |
| 1979年夏ごろ | 切迫した社会現象としての流行が次第に沈静化 | 研究者による整理 |
※公開資料をもとに玄徴録が作成した図解です。
口裂け女は、伝わるたびに「強く」なった
口裂け女の特徴は、拡散の速さだけではありません。
噂が広がる過程そのものが、怪異を変化させています。
| 初期記録で確認しやすい要素 | 全国流行の中で広まった要素 |
|---|---|
| 女性である | 赤いコート |
| 口が大きく裂けている | 鎌・ハサミ・包丁などの武器 |
| マスクで口元を隠す | 人間離れした速度 |
| 人を驚かせる | 「ポマード」が苦手 |
| 美しい女性として現れる型 | べっこう飴を渡すと逃げられる |
| 由来が明確ではない | 美容整形失敗・姉妹などの過去 |
特に重要なのが、「対処法」です。
ただ「怖い女性が出る」という話であれば、聞いた人は恐怖を共有して終わります。
しかし、
- ポマードと言えば助かる
- べっこう飴を渡せば逃げられる
という情報が加わると、怪談は「もし遭遇したときに必要な情報」へ変わります。
聞いた子どもには、別の誰かへ教える理由が生まれます。
さらに地域によって対処法が違えば、「自分の学校ではこう聞いた」「隣町では違う」と情報交換が始まります。
口裂け女は同じ話がそのままコピーされたのではありません。
伝えられるたびに編集されていました。
SNSのない1979年、なぜ全国へ広がれたのか
口裂け女は、1979年当時としては非常に速い速度で全国へ広がりました。
その拡散経路として研究者が注目しているのが、学校と学習塾です。
学校だけであれば、子どもの人間関係は基本的に同じ学区の中にあります。
しかし塾には、異なる学校の子どもたちが集まります。
ある学校の子どもが、
「うちの学校の近くに口裂け女が出たらしい」
と話す。
それを聞いた別の学校の子が、自分の学校へ持ち帰る。
すると「隣の学校にも出た」という話へ変わります。
同じ噂が、場所を変えながら自分たちの生活圏へ近づいてきます。
1979年の「ネットワーク」は、教室と学習塾だった
口承文芸研究では、学校や学習塾が口裂け女の噂を学区の外へ運ぶ重要な場所だったと分析されています。
インターネット以前でも、人間同士をつなぐネットワークが存在すれば、噂は高速で移動することができます。
※玄徴録による再現イメージです。実際の当時写真ではありません。
新聞や週刊誌が口裂け女を作ったのか
「口裂け女はマスコミが作った都市伝説だったのではないか」という見方もあります。
確かに1979年春以降、週刊誌や新聞は口裂け女を盛んに取り上げました。
しかし、確認できる時系列を見る限り、すべてをメディア起源とするのは難しそうです。
岐阜では新聞報道より前から噂が流れていたと整理されており、新聞はすでに存在していた噂を取り上げています。
一方で、報道が無関係だったわけでもありません。
地方の子どもたちの間だけで語られていた怪談を新聞や週刊誌が報じれば、まったく別の地域の人までその存在を知ります。
さらに、
「新聞に載っている」
という事実そのものが、噂に現実味を与えることがあります。
「口コミが作った」「新聞が作った」のどちらか一方ではなく、口コミとメディアが互いを増幅した都市伝説と考えるほうが、残された記録には合っています。
大人の対応が、子どもには「証拠」に見える
口裂け女は、子どもの遊び話だけでは終わりませんでした。
研究資料には、保護者から警察への問い合わせや、教師・親によるパトロール、集団下校などが行われたとする例が紹介されています。
もちろん、これは警察や学校が超自然的な口裂け女の存在を認定したという意味ではありません。
子どもが「不審な女性がいる」と恐れているなら、安全面から大人が対応することは自然です。
しかし、子どもの側から見ると違います。
- 先生も注意している
- 大人がパトロールしている
- 警察にも話が行っている
こうした現実の反応が、「やっぱり本当にいるんだ」という感覚を強める可能性があります。
噂を警戒するための現実的な対応が、逆に噂を補強する。
口裂け女の社会現象には、このフィードバックもあったのでしょう。
1979年6月|岐阜では「下火」、全国ではまだ恐怖が拡大
1979年6月15日、『岐阜日日新聞』夕刊には興味深い記事が掲載されました。
見出しは、
「岐阜で生まれた口裂け女 騒ぎやっと下火へ」
というものでした。
岐阜県図書館は、実際にこの紙面と口裂け女の想像図を確認しています。
ところが、その約2週間後の6月29日には、『週刊朝日』が全国の小中学生を恐れさせる風説として口裂け女を大きく取り上げています。
発祥地とされた地域ではすでに「下火」になり始めているのに、別の地域ではまだ新しい恐怖として広がっている。
噂は全国で同時に生まれ、同時に消えるわけではありません。
ある土地で古くなった怪談が、数百キロ離れた場所では「昨日初めて聞いた話」になります。
これはインターネット以前の口コミだからこそ見えやすい、伝播の時間差です。
なぜ夏になると、口裂け女は消えていったのか
1979年夏になると、口裂け女をめぐる切迫した騒ぎは次第に沈静化していきます。
研究者は、その時期が夏休みの開始と重なる点を指摘しています。
学校や塾が噂の重要な拡散場所だったのであれば、長期休暇によって日常的な口コミネットワークが一時的に分断されることは、流行の勢いを弱める要因になり得ます。
もちろん、夏休みだけですべてを説明することはできません。
噂が広まりすぎて新鮮さを失ったことや、新聞・週刊誌によって半ば娯楽的な話題へ変化したことも考えられます。
この時期に消えていったのは、口裂け女というキャラクターそのものではありません。
「今、本当にどこかに出没しているらしい」という切迫感のほうだったと考えられます。
発祥をめぐる3つの説を比較する
| 見方 | 根拠 | 弱点 | 玄徴録での評価 |
|---|---|---|---|
| 1978年末の岐阜発祥 | 岐阜での流行と1979年1月の新聞記録を追える | 岐阜県内でも発信地が複数あり、さらに古い類似例がある | 1979年の全国流行に直接つながる起点として有力 |
| 1978年埼玉の怪談が先行 | 口が耳まで裂けた女性、整形失敗説など強い類似 | 埼玉から岐阜への伝播経路を確認できない | 重要な先行類似記録。直接起源とは断定できない |
| 古い怪談・妖怪からの連続 | 異常な口を持つ女や鬼女・山姥などのモチーフは以前から存在 | 1979年の口裂け女まで連続する伝承記録がない | 文化的類似はあるが直接起源とする根拠は不足 |
「整形手術に失敗した女性」は実在したのか
口裂け女の正体として、非常に有名なのが美容整形に失敗した女性という話です。
派生した噂では、
- 手術中に医師が使っていた整髪料の匂いが原因だった
- 手術失敗によって精神的に不安定になった
- 姉妹の一人だけ手術に失敗した
- 複数の姉妹が異なる理由で口を裂いた
など、さまざまな過去が作られていきました。
しかし、これらの話に一致する一人の実在女性や、事件・医療記録が「口裂け女の正体」として確認されているわけではありません。
整形失敗説は「怪異に理由を与える由来譚」
興味深いことに、1978年7月の埼玉の類似怪談をめぐる噂にも、すでに美容整形の失敗という説明が現れていたとされています。
したがって整形失敗説は、インターネット時代になって生まれた新しい後付けではありません。
ただし、それが実在人物の経歴だったと示す資料はなく、玄徴録では「なぜ口が裂けているのか」を説明するために形成された由来譚として扱います。
「江戸時代から口裂け女がいた」は本当か
ネット上では、「口裂け女は江戸時代から存在する妖怪だった」と説明されることがあります。
確かに、日本の古い怪談や妖怪譚には、大きな口を持つ女性、姿を変える女性、夜道で人を驚かす鬼女や山姥など、部分的に似たモチーフがあります。
しかし、
「似た怪異が昔から存在した」ことと、「1979年の口裂け女が江戸時代から同じ名前・設定で伝承されてきた」ことは別です。
今回確認した資料では、江戸時代の特定の怪談から1978〜1979年の口裂け女まで、途切れず伝承されたことを示す記録は確認できませんでした。
口裂け女は本当に実在したのか
ここまで追ってきた記録の中に、本物の口裂け女が捕獲された記録はありません。
また、全国各地を移動しながら人を襲った一人の女性を特定する記録も確認できません。
確認できるのは、
- 「口の裂けた女」という噂が実際に流れた
- 新聞や週刊誌が実際にその噂を報道した
- 子どもだけでなく、大人や学校も反応した
- 地域ごとに設定が変化した
- 短期間で全国規模の社会現象になった
ということです。
怪異の実在は確認できない。しかし「恐れた社会」は実在した
一人の超自然的な「口裂け女」が実在したことを示す資料は確認できません。
しかし、子どもたちが口裂け女を恐れ、大人が対応し、新聞や週刊誌が報じたという社会現象は記録に残っています。
怪異そのものの真偽と、その怪異が社会へ与えた影響は分けて考える必要があります。
玄徴録の考察|「最初の一人」は存在しなかったのかもしれない
口裂け女の正体は、一人の女性ではなく「変化する噂」なのか
口裂け女の起源を一つの地点、一人の人物、一つの話に決めようとすると、どうしても記録と合わない部分が出てきます。
1979年の全国流行へ直接つながる起点としては、1978年末の岐阜がかなり有力です。
しかし、その半年ほど前には埼玉で「口が耳まで裂けた美女」という類似怪談が報道されたとする記録があります。
その一方で、埼玉と岐阜を直接つなぐ伝播経路は確認できません。
ここから考えられる一つの可能性は、各地に存在していた「口の異常な女性」という怪談群が、1978年から1979年にかけて互いに似た形へ収束していったというものです。
岐阜で広がる過程では、マスクという強い視覚的特徴が定着する。
子どもたちは「遭遇したらどうするか」を語り、弱点や逃げ方を付け加える。
別の地域では武器や異常な走力が加わる。
「なぜ口が裂けたのか」という疑問には、整形失敗という過去が与えられる。
新聞や週刊誌が報道すれば、地域限定だった噂が全国へ知られる。
そして、それを知った人が再び自分の地域の話として語り直す。
こう考えると、現在知られる口裂け女を作った「最初の一人」は、そもそも存在しなかったのかもしれません。
数え切れないほどの人が、一つずつ情報を加えた。
だから地域によって姿が違い、弱点が違い、過去まで違う。
普通なら設定の不統一は、物語の欠点です。
しかし口裂け女の場合、その不統一さこそが、噂によって作られた怪異であることを示す痕跡なのかもしれません。
語り継がれる過程で怪異の特徴が整理され、後世に強いイメージが定着していく例はほかにもあります。 八尺様の記録 では、2008年の原典と現在広く知られる姿の違いを追っています。
※玄徴録による再現イメージです。実際の口裂け女を撮影した写真ではありません。
結論|口裂け女の「発祥」はどこまで分かっているのか
最後に、確認できることと、まだ確認できないことを分けます。
| 確認できること | まだ確認できないこと |
|---|---|
| 1978年暮れごろ、岐阜県周辺で噂が広まっていた | 岐阜県内のどこで最初に生まれたのか |
| 1979年1月26日の『岐阜日日新聞』記事は実在する | その記事がすべての口裂け女情報の最初なのか |
| それ以前の『名古屋タイムズ』を示す資料調査がある | さらに前とされるタウン誌の正確な内容 |
| 1978年7月の埼玉に非常によく似た怪談記録がある | 埼玉の噂が岐阜へ伝わったのか |
| 1979年春から夏に全国的な社会現象になった | 一人の作者・最初の語り手が存在したのか |
| 拡散の途中で設定が増えた | ポマードなど個々の設定が最初に生まれた正確な日時と場所 |
「口裂け女は岐阜で生まれた」
この説明は、1979年の全国流行を理解するうえでは重要です。
しかし、その一言だけではすべての記録を説明できません。
さらに半年遡ると、1978年の埼玉にもよく似た女が現れます。
それでも、その二つをつなぐ一本の線はまだ確認できません。
そして1979年、口裂け女は地域を移動するたびに姿を変えました。
武器を持ち、速く走り、弱点を持ち、やがて「なぜ口が裂けたのか」という過去まで与えられます。
実在する一人の女を探して記録を遡ったはずなのに、最後に見えてくるのは一人の人物ではありません。
人から人へ伝わるたび、少しずつ形を変えていく「噂」そのものです。
口裂け女の正体が何だったのか。
その答えは、まだ断定できません。
しかし、1978年から1979年に何が起きたのかを示す記録は残っています。
怪異そのものは確認できなくても、怪異が歩いた跡は消えていない。
不可解には、徴が残る。
よくある質問
口裂け女の発祥は岐阜県ですか?
1979年に全国流行した口裂け女の直接的な起点としては、1978年末の岐阜県が有力です。ただし、県内でも複数の発信地説があり、さらに1978年7月の埼玉に類似する怪談記録があります。そのため「すべての口裂け女の最初が岐阜だった」とまでは断定できません。
1979年1月26日の『岐阜日日新聞』が最初の記録ですか?
その日の記事が存在すること自体は国立国会図書館によって確認されています。ただし、資料調査では1979年1月22日の『名古屋タイムズ』や、さらに古い1978年7月の『文化新聞』が先行例として示されています。そのため1月26日を絶対的な初出と断定することはできません。
口裂け女のモデルになった実在女性はいますか?
美容整形に失敗した女性などさまざまな正体説がありますが、口裂け女のモデルとして確認された一人の実在人物は見つかっていません。整形失敗説は、怪異の姿に理由を与える由来譚として扱うのが現時点では妥当です。
「ポマード」と言えば助かる話は最初からあったのですか?
確認できる初期の記録に、現在知られるすべての対処法が揃っていたわけではありません。ポマードやべっこう飴などは、全国へ噂が広がる途中で加わった設定として研究者から紹介されています。誰が、どこで最初に追加したのかは確認できていません。
参考・出典
-
【公的調査記録】国立国会図書館|1979年1月26日『岐阜日日新聞』「編集余記」
国立国会図書館が所蔵マイクロフィルムを調査し、1979年1月26日朝刊1面への掲載を確認しています。
レファレンス協同データベースで確認する -
【公的調査記録】岐阜県図書館|1979年6月15日『岐阜日日新聞』
「岐阜で生まれた口裂け女 騒ぎやっと下火へ」の記事と想像図を確認。1978年暮れごろから岐阜市内で話題となったことや、発信地に複数説があることも整理されています。
レファレンス協同データベースで確認する -
【雑誌記事索引】香川県立図書館/国立国会図書館
『週刊朝日』『週刊新潮』など、1979年春から夏に掲載された口裂け女関連記事を確認するための資料。
国立国会図書館サーチで確認する -
【研究資料】川根慶子「うわさ―社会的思考の表明―」京都学園大学人間文化学会
1978年末の岐阜での噂、教室・塾を通じた拡散、警察への問い合わせ、設定の変化などを整理した研究。
論文PDFを読む -
【専門家解説】飯倉義之|「口裂け女」から「きさらぎ駅」まで―都市伝説の変容から振り返る昭和・平成の日本社会
口承文芸研究の視点から、口裂け女の拡散、設定変化、学習塾などの役割を解説。
nippon.comの記事を読む -
【資料調査】吉田悠軌|1978年の「口裂け女」メディア報道
1978年7月の埼玉『文化新聞』、1979年1月22日の『名古屋タイムズ』など、従来の1979年1月26日説より前へ遡る資料を紹介。本記事では公的確認記録とは区別し、「初出を再検討するための資料調査」として扱っています。
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