赤マントはどこから現れたのか|1939年東京の流言と「赤い紙・青い紙」の記録を追う

都市伝説

学校のトイレで、何者かに色を選ばされる。

赤を選べば赤に、青を選べば青に――。現在では「赤い紙・青い紙」「赤マント」「赤いちゃんちゃんこ」など、よく似た話が複数の名前で語られています。

ところが記録を古い順に並べると、「赤マント」という名前が最初から一つの学校怪談を指していたわけではないことが見えてきます。

1939年の東京では、「赤マントの男が徘徊している」という流言が社会的に広がり、大宅壮一が同年4月の『中央公論』で論じています。一方、学校の便所で赤か青かを選ばせる話には、1930年代半ば頃の出来事として後年採録された回想、1972年に記録された「赤い紙・白い紙」、1986年の「赤・青・白」の記録があります。

同じ怪談が姿だけを変えたのでしょうか。それとも、別々の話が後から「赤マント」という名前の下で混ざったのでしょうか。

今回は、同時代資料と後年の回想を分けながら、「赤マント」と呼ばれる怪談がどこから現れ、何が残り、何が変わったのかを追います。

RECORD DATA
分類
都市伝説/学校の怪談
古い起源候補
1930年代半ば頃・長野県豊科小学校とされる回想記録
同時代に確認できる「赤マント」
1939年・東京で流行した「赤マントの男」の流言
便所の色選択型の確認例
1972年・兵庫県尼崎市「赤い紙/白い紙」
後の代表的な型
赤い紙/青い紙、赤いちゃんちゃんこ、赤いマントなど
記録上の特徴
名称・色・姿・結末が変化する一方、「問い→選択→色に対応する結果」という構造が残りやすい

結論|「赤マント」は一つの怪異として一直線には追えない

先に、今回確認できた範囲を整理します。

  • 1939年4月の『中央公論』には、大宅壮一による「『赤マント』社会学」が掲載されており、当時東京で「赤マントの男」に関する流言が広がっていたことを確認できる。
  • 松谷みよ子『現代民話考 第2期2』(1987年)には、1930年代半ば頃の長野県豊科小学校で語られていたとされる、便所で「赤いマント/青いマント」を選ばせる話が採録されているとする資料がある。ただし、これは1930年代に作成された同時代記録ではなく、後年の回想である。
  • 1972年の『近畿民俗』には、兵庫県尼崎市で、便所へ行くと「赤い紙/白い紙」を問うお化けの話が低学年を中心に広まっていたという記録がある。
  • 1986年の東京都の学校怪談には、「何色の紙がほしいか」と問われ、赤・青・白によって結果が変わる型が記録されている。
  • 1990年の神奈川県藤沢市では、「赤いマントをかぶせましょうか」と尋ねる声が学校のトイレに現れる型が記録されている。
CONFIRMED RECORD|確認できる記録

少なくとも1970年代から1990年代にかけて、「便所・トイレ」「色を尋ねる声」「選択によって異なる結果」という構造を持つ複数の怪談が、異なる地域・年代で記録されています。

1930年代半ば頃の学校怪談については、出来事が語られたとされる年代と、それが出版物として記録された1987年を分けて考える必要があります。「1930年代に語られていたという後年の回想」と「1930年代に作成された同時代記録」は同じではありません。

まず分けるべき二つの「赤マント」

赤マントの起源を調べると、1930年代の記録が複数現れます。

しかし、ここで最初に注意しなければならないのは、それらが同じ内容ではないことです。

1939年東京|街を徘徊する「赤マントの男」

大宅壮一文庫が公開している雑誌記事索引には、大宅壮一「『赤マント』社会学 活字ジャーナリズムへの抗議」が『中央公論』1939年4月号に掲載されたことが記録されています。

索引では、赤マントの男が徘徊するという流言が約1か月にわたり東京で広がったものとして整理されています。昭和館デジタルアーカイブでも、同号に大宅の「『赤マント』社会学」が収録されていることを確認できます。

つまり1939年の「赤マント」は、後世の怪談本が過去へ遡って紹介しただけの話ではありません。当時すでに「赤マント」という言葉を冠した流言が広まり、それについて書かれた同時代の雑誌記事が存在します。

CONFIRMED HISTORY|1939年の同時代記録

『中央公論』1939年4月号に大宅壮一「『赤マント』社会学」が掲載されています。ここから、1939年春の東京で「赤マントの男」に関する流言が実際に社会的な話題となっていたことまでは確認できます。

※玄徴録による再現イメージです。実際の人物・事件現場・当時写真ではありません。

もう一つの赤マント|学校の便所で色を選ばせる男

一方、現在の「赤い紙・青い紙」に近い構造を持つ古い話として知られているのが、松谷みよ子『現代民話考 第2期2』に採録された長野県・豊科小学校の回想です。

国立国会図書館の書誌では、この本が1987年6月に立風書房から刊行されたことを確認できます。後年の資料整理によれば、採録された回想では、昭和6年に入学した話者が5年生頃、学校の便所の入口にマント姿の男がいるという怪談を聞き、赤か青かのマントを選ばされる話が語られていたとされています。

赤を選んでも青を選んでも、その色に対応する危険な結末へつながる。

ここにはすでに、後の「赤い紙・青い紙」によく似た構造があります。

  • 学校の便所が舞台
  • 正体不明の存在から二つの色を提示される
  • 答えた色が、その後に起こる出来事と結びつく
  • どちらを選んでも安全とは限らない
RETROSPECTIVE RECORD|後年に採録された回想

この話が1930年代半ば頃に語られていたという証言は重要です。ただし、現在確認できる出版記録は1987年です。そのため玄徴録では「1930年代の同時代資料」とはせず、「1930年代半ば頃の出来事として後年採録された回想」として扱います。

1939年の流言と学校怪談は同じものなのか

年代だけを見ると、学校の便所で語られたとされる赤・青のマントの回想と、1939年東京の赤マント流言は非常に近い位置にあります。

しかし、近い年代に存在したからといって、片方がもう片方から生まれたとまでは言えません。

1939年に同時代資料で確認できるのは、東京で「赤マントの男」が徘徊しているという流言が広がっていたことです。一方、後年採録された豊科小学校の話は、学校の便所で色を選ばせるという構造を持っています。

舞台も、話の仕組みも異なります。

UNVERIFIED CONNECTION|直接の系譜は未確認

1939年東京の「赤マントの男」と、学校の便所で赤・青を選ばせる怪談が直接つながっていることを示す伝播記録は、今回確認した資料からは見つかっていません。同じ「赤マント」という名称だけを理由に、一つの怪談の起源と断定することはできません。

1972年|「赤い紙・白い紙」が記録されていた

時代を下ると、現在の「赤い紙・青い紙」にさらに近い記録が現れます。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースには、柏原夫佐子「おばあさんから聞いた話」が『近畿民俗』通巻55号、1972年2月15日発行として登録されています。

地域は兵庫県尼崎市。

記録されているのは、便所へ行くと「赤い紙」か「白い紙」かをお化けに尋ねられるという話です。この伝説が低学年、特に1年生の間に広まり、子どもたちが連なって便所へ行ったことまで記されています。

ここで重要なのは、「赤マント」という名前ではありません。

便所で正体不明の存在が現れ、色の異なる二つの選択肢を提示する。

後の怪談と共通する仕組みが、1972年の民俗資料にすでに残されています。

CONFIRMED RECORD|1972年・尼崎市

『近畿民俗』に採録された事例から、1972年には兵庫県尼崎市で「便所」「赤い紙/白い紙」「児童間で広まる」という要素を持つ怪談が記録されていたことを確認できます。

※公開資料をもとに玄徴録が作成した図解です。

1986年|赤・青・白の「紙」が揃う

1986年になると、現在広く知られる型にかなり近づきます。

国際日本文化研究センターのデータベースに登録された常光徹「学校の世間話―中学生の妖怪伝承にみる異界的空間―」には、東京都の学校で語られていたトイレ怪談が記録されています。

小学校の一番端のトイレに入ると、何色の紙が欲しいか尋ねられる。

選択肢は赤、青、白です。

赤と青には危険な結果が対応し、白を選ぶと何も起こらないという構造になっています。

1972年の尼崎では「赤/白」だった選択肢が、この1986年の東京の事例では「赤/青/白」になっています。

現在の「赤い紙か、青い紙か」という代表的な形に非常に近い一方で、まだ白という第三の選択肢も存在していました。

同じ1980年代でも「赤いちゃんちゃんこ」がある

さらに同じデータベースには、1986年東京都の学校で「赤いちゃんちゃんこ」を着せるかと尋ねる声の怪談も記録されています。

ここでは紙ではなく衣服です。

つまり1980年代の学校怪談を見ても、「赤い紙」という一つの完成形だけが全国へコピーされていたとは考えにくく、同じような仕組みを持つ複数の型が並行して語られていました。

1990年|学校のトイレに「赤いマント」が戻ってくる

1990年、神奈川県藤沢市で採録された学校怪談には、名称の変化を考えるうえで興味深い事例があります。

林英一「学校の中の非日常空間の位相」に記録された話では、小学校の女子職員トイレで、特定の個室へ入ると「赤いマントをかぶせましょうか」と尋ねる声が聞こえるとされています。

ここでは再び「赤いマント」という表現が現れます。

ただし、1939年東京の街を徘徊したとされる男とは構造が違います。

舞台は学校のトイレ。姿よりも「声」が先に現れ、問いかけにどう答えるかが怪異の中心です。

※玄徴録による再現イメージです。実際の学校・事件現場・証拠写真ではありません。

LATER FORMATION|名前とモチーフの再結合

1972年の「赤い紙/白い紙」、1986年の「赤・青・白の紙」「赤いちゃんちゃんこ」、1990年の「赤いマント」は、名称こそ異なりますが、学校のトイレで問いを受け、回答によって怪異が展開する点で重なります。どれか一つから全てが直線的に派生したとは断定できません。

記録を時系列で並べる

年代場所・資料記録された内容資料の性質
1930年代半ば頃とされる長野県・豊科小学校便所で赤/青のマントを選ばせる男1987年刊行資料に収録された後年の回想
1939年東京/『中央公論』「赤マントの男」が徘徊するという流言同時代資料で確認可能
1972年兵庫県尼崎市/『近畿民俗』便所で赤い紙/白い紙を尋ねるお化け民俗採録
1986年東京都トイレで赤/青/白の紙を選ばせる学校怪談の調査記録
1986年東京都「赤いちゃんちゃんこ」をめぐるトイレ怪談学校怪談の調査記録
1990年神奈川県藤沢市トイレで「赤いマント」を提示する声民俗調査記録
2003年『学校の怪談』「赤い手、青い手」「赤い紙、白い紙」など複数型を収録民話集成

「赤い紙・青い紙」は赤マントが変化したものなのか

ここまで並べると、つい一つの系譜を描きたくなります。

赤いマントと青いマントが、やがて赤い紙と青い紙へ変化した――。

確かに、構造はよく似ています。

  • 閉鎖的な場所で遭遇する
  • 相手から色を提示される
  • 回答しなければならない
  • 選択した色と結果が結びつく
  • 正解が分かりにくい、あるいは正解自体がない

しかし、資料上はその間を一直線につなぐ「変化の記録」が残っているわけではありません。

1972年尼崎の記録では赤と白。1986年東京では赤・青・白。同じ1986年には「ちゃんちゃんこ」があり、1990年には再び「マント」が現れます。

「マントが紙へ変わり、その後またマントへ戻った」という一本の物語を想定するより、色の選択を使う複数の学校怪談が互いに影響しながら混ざり、地域ごとに語り直された可能性を考える方が、現在確認できる資料には合います。

ORIGIN THEORY / UNCONFIRMED|単一起源説の限界

「赤い紙・青い紙は赤マントから生まれた」「1939年の赤マント流言がすべての起源だった」とするには、その変化をつなぐ資料が不足しています。類似していることと、直接の系譜が確認できることは別です。

何が変わり、何が残ったのか

要素記録上の変化
舞台街中を徘徊する怪人/学校の便所/学校のトイレ
怪異の姿マント姿の男/姿の見えない声/お化けなど一定しない
選択肢赤・青/赤・白/赤・青・白など
選ぶ物マント/紙/ちゃんちゃんこなど
安全な回答資料・地域によって異なり、存在しない型もある
残りやすい構造問いかけ → 色を選ぶ → 選択した色に対応する結果

※公開資料をもとに玄徴録が作成した図解です。

なぜ学校のトイレに定着したのか

色の選択型が学校怪談として長く残った理由を考えるうえで、トイレという場所は無視できません。

学校の中にありながら、個室へ入れば一人になる。扉によって視界が遮られ、向こう側を確認できない。日常的に使う場所なのに、怪談を聞いた後も避けることが難しい。

そして何より、話を聞いた子ども自身が翌日すぐに確かめられます。

学校のトイレが怪談の舞台になりやすいことは、「トイレの花子さん」の記録とも重なります。花子さんもまた、学校ごとに個室の位置や呼び出し方、返事、姿が変化していました。

赤マント系の話では、さらに「何色を選ぶか」という短いルールが加わります。

場所と質問さえ覚えれば、話全体を正確に暗記する必要はありません。この短さは、子ども同士で伝える怪談にとって非常に強い構造です。

色の数が変わっても怪談として成立する理由

1972年は赤と白。1986年には赤・青・白。別の事例では赤と青が中心になります。

普通なら、選択肢が変われば別の話になりそうです。

それでも同系統の怪談として認識できるのは、重要なのが色そのものではなく、「答えを選ばされる」という仕掛けだからではないでしょうか。

これは、道端で突然質問される口裂け女とも比較できます。

口裂け女では「私、きれい?」という問いへの返答が、その後の展開を左右します。赤マント系では、同じ役割を色の選択が担います。

聞き手は怪談をただ聞くだけではありません。

「自分なら何と答えるか」を考えた瞬間、話の中へ参加させられます。

逃げ方・正解は後から増えたのか

現在の赤い紙・青い紙には、「どちらも選んではいけない」「別の色を答える」「何もいらないと言う」など、さまざまな回避法が語られています。

しかし古い記録を並べると、安全な回答は一定していません。

1986年東京の記録では白が安全な選択肢として登場します。一方、別地域・別年代の話では選択肢そのものが違います。

つまり「全国共通の正解」が最初から存在していたと見る根拠は乏しく、怪談が伝わる過程で、回答や回避方法も作り替えられていったと考える方が自然です。

LATER RULES / POSSIBILITY|増えていく攻略法

現在流通する回避法のすべてを古い型まで遡らせることはできません。学校怪談では、恐怖のルールだけでなく「助かる方法」も地域や世代ごとに追加されるため、特定の攻略法を赤マント本来の設定と断定しない方が安全です。

玄徴録の考察|残ったのは「赤マント」という怪人ではなく、選択の仕組みではないか

ANALYSIS / GENCHOROKU

ここまでの記録で最も安定しているのは、怪異の名前でも、姿でも、色の組み合わせでもありません。

安定しているのは「閉じた場所で問いかけられる」「色を選ばされる」「選んだ色が結果になる」という仕組みです。

1930年代半ば頃とされる豊科小学校の回想ではマント。

1972年の尼崎では紙。

1986年には紙とちゃんちゃんこ。

1990年には再びマント。

外側の言葉は変わっています。

それでも、「選択させる怪談」という構造は残り続けています。

ここから考えられるのは、赤マントという一人の怪人の物語が完全な形で全国へ広まったのではなく、すでに存在した複数の学校怪談が、似た構造によって互いに混ざり合っていった可能性です。

1939年東京の流言も、その後の「赤マント」という言葉の印象に影響した可能性はあります。しかし、それを証明する伝播記録がない以上、起源として断定することはできません。

むしろ記録から浮かぶのは、名前が変わっても生き残る仕掛けです。

赤か。青か。白か。

何を選ぶかではなく、答えなければならない状況そのものが、この怪談の核だったのかもしれません。

現在分かっていること

「赤マントの起源」を一つの出来事へ絞ることは、現在確認できる資料からは困難です。

確実に言えるのは、1939年東京には「赤マントの男」の流言が存在し、同時代の雑誌で論じられていたこと。

そして1972年には、学校の便所で色を選ばせる「赤い紙・白い紙」が民俗資料に記録され、1980年代以降には赤・青・白、ちゃんちゃんこ、マントなどの異なる型が確認できることです。

1930年代半ば頃の学校で赤・青のマントを選ばせる話があったとする回想も残っています。ただし、それが記録されたのは半世紀ほど後です。

古い話ほど、いつ起きたと語られているのかと、いつ資料として残されたのかを分けて読む必要があります。

そうして記録を一枚ずつ並べていくと、「赤マント」という名前以上に長く残っているものが見えてきます。

トイレの個室で、見えない相手から突然選択を迫られる。

その短い仕組みだけが、名前や色を変えながら何十年も残っているのです。

REFERENCES / SOURCE RECORD

参考・出典